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釧路地方裁判所 昭和45年(わ)186号 判決

被告人 柴田龍太郎

昭一〇・九・二五生 医師

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、医師であつて、麻薬施用者として免許を受けているものであるが、法定の除外理由がないのに、昭和四四年五月一七日から昭和四五年五月一二日までの間、釧路市鳥取大通四丁目三番地柴田外科医院において、別紙一覧表記載のとおり、一、二六七回にわたり、麻薬中毒者である新野帆二に対し、その中毒症状を緩和するため、麻薬であるオピアト注射液一、二六七本(一本一CC入り)を注射し、もつて麻薬を施用したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、麻薬取締法第二条にいう麻薬中毒とは、「麻薬連用による耐薬性の上昇、習慣性の固定、禁断現象の発現」を指称し、特に禁断現象がそのメルクマールであるというべきところ、新野には昭和四四年四月二二日以降耐薬性の上昇が明らかに認められるものの、同年一二月三一日までは悪寒、鼻汁、頭痛、全身倦怠等のいわゆる禁断症状が認められないから、新野はすくなくとも同年一二月三一日までは麻薬中毒者であつたということはできないのみならず、被告人は、臨床医学上の見地から新野の凍傷による疼痛軽減・緩和のため麻薬施用の必要ありと判断し、麻薬であるオピアトを施用したものであるから、被告人の麻薬施用は正当な医療行為であるといわなければならず、また仮りに被告人において、新野が麻薬中毒者であるとの認識を有していたかあるいは結果的に麻薬の施用が麻薬中毒者の中毒症状緩和として作用したとしても、被告人は、新野の凍傷による疼痛軽減・緩和という治療目的のためやむを得ず麻薬を施用したものであるから、刑法第三七条の緊急避難行為であつて、結局無罪であると主張するので、以下弁護人らの右主張について順次判断する。

一、(証拠略)を総合すると、

(一)  新野は、昭和四四年一月二九日友人宅において飲酒した後深夜徒歩で帰宅中、突然眩暈感を覚え、やがて意識を失つて路上に転倒した。翌一月三〇日午前三時頃、救急車で柴田外科医院に運ばれ、診察の結果「四肢凍傷第三度」と診断され、同日から同医院に入院して治療を受けることになつたこと、

(二)  被告人は、右新野の凍傷の治療方法として患部にユベラ軟膏を塗布する外、鎮痛剤、睡眠薬、循環促進剤等を投与することにしたが、同年二月二五日頃新野から胃痛の訴えがあつて検査したところ、同人に胃潰瘍の疑ありと診断したので、病名を追加し、右疾病の治療方針としてメサフイリン系薬物を投与することにしたこと、

(三)  ところで、新野は患部に水泡を形成し、これがくずれて潰瘍を形成するにつれてしばしば疼痛を訴えるので、被告人ははじめ麻薬でない鎮痛剤を投与・注射していたが、新野がさらに鎮痛効果の強力な薬を要求するので、昭和四四年二月八日以降麻薬であるオピアト注射液(日本薬局方名をアヘンアルカロイドアトロピンといい、モルヒネ〇・九〇―一・一〇パーセントを含む。)を連続施用するに至つたのであるが、その麻薬施用の状況は、昭和四四年二月八日、一〇日、一二日および一四日以降二七日まで連日一アンプル、二八日二アンプル、三月は八日を除いて二七日まで連日一アンプル、二八日二アンプル、三月二九日から四月一一日まで連日一アンプル、一二日二アンプル、一三日以降は一五日を除いて二一日まで連日一アンプル、二二日、二三日二アンプル、二四日一アンプル、二五日から五月一六日まで連日二アンプルを施用したこと、ところが昭和四四年五月一七日頃から新野の疼痛の訴えと鎮痛剤の要求の頻度が次第に増えていつたので、被告人は新野の要求の都度同人に対し自からあるいは看護婦に指示してオピアト注射を連続施用することになつたのであるが、その後の施用日数と施用量は、判示認定のとおりであつて、昭和四四年五月一七日から昭和四五年五月一二日までの間のみを集計すれば、約一ヵ年間の期間に亘つて、合計約一、二六七回に及んでいること、

(四)  他方凍傷部位の経過をみるに、柴田外科医院に運び込まれた当時、両手、両足、両耳朶に凍傷を受け、両手足の指の先端は貧血のため、白色ないし暗紫色を呈し、手足の甲の部分は赤く腫れあがつていたが、両耳朶の凍傷は、二・三週間で皮膚が剥離脱落して治癒し両手の方も翌日頃から患部に水泡を形成し、その後水泡が崩れて、皮膚が乾燥剥離し、同年五月一〇日頃にはすでに包帯もとれて外形的には一応治癒し、患部に若干しびれが感じられたが疼痛なく超短波の電気療法のみを残す程度になつたが、両足の方は入院の翌日頃から水泡を形成し、これが同年三月から四月頃にかけてえそ(壊疸)の状態になり、さらに足趾の部分の骨が露出し、八月頃にはその周囲の皮膚に潰瘍を形成して悪臭を放つ状態になつたが、その後次第に肉があがつてきて一〇月には潰瘍も消失してほぼ治癒したこと、その間新野は五月一一日から三日間弟の結婚式のため実家に帰宅し、その後六月にも二日間自宅に帰つて患部に対する治療あるいは投薬はもちろん、オピアト等の注射も受けていないが、患部の疼痛もさして強く感じられず、また鼻水、くしやみ、悪寒、全身倦怠等麻薬禁断時に見られる症状もなかつたこと、

(五)  新野は、入院中しばしば被告人や看護婦に疼痛を訴えたが、その疼痛は、「手などをひどく冷却した後急に暖める時あるいは坐つてしびれた足が次第に治っていく時に感じる痛がゆくくすぐつたい感じでしかもその部位は凍傷部に限局するのではなく身体の中心部に向つて上つていくような身の置きどころのないとしか形容できないような痛み」であつて、その痛みの程度は、そのまま放置したとしても、新野が精神錯乱の状態に陥入るようなものでなく、必ずしも麻薬によらなければこれを鎮静させることができない程度ではなかつたのにかかわらず、被告人は、新野の要求に応じて安易に自らあるいは看護婦に指示して麻薬を連続施用し、同年三月末頃には、新野を「モルヒニスムス」と診断し、同年五月六日には、北海道知事に対し、「四肢耳朶凍傷第三度、四肢足趾手指に潰瘍を形成し著しい疼痛を訴えオピアト使用中でありますが、最近中毒症状を呈して来た」として麻薬中毒者診断届を提出し、さらに同年八月頃には新野に麻薬連用の弊害を説いてその施用量を減量すべく努力し、八月末から約二〇日間は従来の一日三ないし四アンプルの使用から一日一ないし二アンプルに減量したものの、その後再び判示のとおり次第にその施用量を増量していつたこと、新野は、昭和四四年一二月末、正月を自宅で迎えるべく自宅に帰つたが、翌日、鼻水、くしやみ、全身倦怠等四肢の疼痛以外のいわゆる麻薬の禁断症状を呈したので、ただちに同院に帰院しオピアトの注射を受けたところ、たちまち右の症状は消失したこと、

(六)  ところで、昭和四五年五月一二日麻薬取締官が麻薬取締法の規定に基づき、柴田外科医院に立入検査を実施したところ、麻薬受払簿に麻薬の譲受け、施用等の記載漏れ、診療録に虚偽の記載や病名、主要症状の記載がなく、かつ被告人に対し、新野の病状と麻薬施用の必要性について質問したところ、「凍傷は殆んど治癒したので六月上旬には麻薬中毒治療のため精神科医に転医させようと考えていた。現在の麻薬の使用は疾病治療の面から見ると、多少行き過ぎがあるかもしれない。」と答え、麻薬の不正施用の疑いが濃厚となつたので、直ちに立入検査を中断して任意捜査に着手し、麻薬受払簿、新野に対する診療録等の証拠品を押収し、同日被告人を翌一三日新野をそれぞれ取調べるとともに五月一二日新野を釧路赤十字病院に同行し、釧路保健所総務課長市原敏夫立会の上、同病院神経精神科部長精神衛生鑑定医吉野実の診断を求めたところ、新野は麻薬中毒者であつて入院措置を必要とするとの診断を受けたので、同日釧路赤十字病院に入院させたこと、同病院入院後吉野医師は即時いわゆる禁断方法による治療を続けた結果、翌日には、悪寒、発汗、鼻汁、背胸部の圧迫感、くしやみ、胸やけを訴え、その後はさらに不眠、足部の疼痛を訴え続けたが、一八日には、不眠、足部の疼痛以外の訴えは消失し、二二日は睡眠障害や足部の疼痛も軽減し、六月一三日には麻薬中毒完全寛解として退院するに至つたこと、

以上の諸事実を肯認することができる。

ところで、麻薬中毒の概念に関しては学問的立場から見解の相違があつて多義的であるところ、(証拠略)を総合すると、薬理学的には、麻薬を連用した際の耐薬性の上昇、習慣性固定、禁断現象発現が麻薬中毒の構成要件であるとし、精神医学的には、麻薬に対する精神的、身体的依存の状態をいう等と種々説明されているし、厚生省薬務局長通達昭和三八年一〇月五日薬発五二六号「麻薬中毒者又はその疑いのある者についての精神衛生鑑定医の行う診断方法及び基準について」によれば、「麻薬の中毒とは、麻薬、大麻又はあへんの慢性中毒をいうのであつて、その慢性中毒とは、嗜癖にもとづく薬品の常用により精神的身体的に薬品に対する依存を呈しているものであり、必ずしも現在明らかな禁断症状を呈する可能性のみを指すものではない。麻薬を常用して通常二週間を超えるときは、麻薬に対する精神的身体的な依存を発呈しうるものである。麻薬に対する精神的依存とは、精神的欲求があり、身体的依存とは、麻薬によつて生理的平衡をきたしている状態であつて麻薬から離脱することり精神的身体的苦痛を生ずるのを通例とする。」と麻薬中毒の概念が定義され、さらに厚生省薬務局長通達昭和四一年六月一日薬発三四四号「麻薬中毒の概念について」の別添に係る精神衛生審議会会長の厚生大臣に対する意見具申によれば、「麻薬中毒とは、麻薬に対する精神的身体的欲求を生じこれを自から抑制することが困難な状態、即ち麻薬に対する精神的身体的依存といい、必ずしも自覚的または他覚的な禁断症状が認められることを要するものではない。」と麻薬中毒の概念が示されている。そこで、当裁判所は、麻薬中毒者の概念を決定するには、先ず、麻薬取締法第二条第二二号には、「麻薬中毒とは麻薬の慢性中毒をいう。」同条第二三号には「麻薬中毒者とは麻薬中毒の状態にあるものをいう。」と定義づけられているので、これを「麻薬の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もつて公共の福祉の増進を図ることを目的とする」同法第一条の精神に照し、さらに前記学説・通達に麻薬中毒者の実情と国際的な動向を勘案して具申された精神衛生審議会会長の厚生大臣に対する意見中の説明部分をも総合参酌して解釈すると、麻薬中毒者とは麻薬使用の習慣性を有し、これにより麻薬に対する精神的、身体的欲求を生じ、これを自ら抑制・断絶することが困難な状態にあるものを指称すると解するのが相当である。そこでこれを本件についてみるに、前示認定の事実に(証拠略)総合勘案すると、被告人は、昭和四四年二月八日から新野に対し麻薬を施用しはじめているが、同年四月二四日までは施用数量も少く殆んど一日一アンプルでしかも施用期間に隔りがありさらにその後一日二アンプルに増量し同年五月一六日まで持続されているが、同年五月一七日以降は一日三アンプルに増量して、その後は殆んど連日施用し、しかも麻薬がきれると不安、焦燥が或程度つき、おそくとも同年五月初旬頃には新野の神経症的傾向から麻薬に対する耐薬性の上昇が明らかに認められ、さらに、同年一二月末に自宅に帰つた時において、いわゆる麻薬中毒による禁断症状を呈していることが明らかである。そうだとすれば、新野は遅くとも、本件起訴に係る昭和四四年五月一七日当時にはすでに麻薬使用の習慣性を有し、これにより麻薬に対する精神的身体的欲求を生じ、これを自ら抑制・断絶することが困難な状態、すなわち麻薬中毒者となつていたと認めるのが相当である。

なお、当裁判所が証拠として採用した医師吉野実作成の鑑定書と、鑑定人西堀恭治作成の鑑定書の証拠価値について付言するに、吉野鑑定書の鑑定内容は、「新野は麻薬中毒である。その始期は昭和四四年二月下旬である」と断定的な結論を下したものであり、西堀鑑定書の内容は、「新野は麻薬中毒者であつた。その始期は昭和四四年二月末から三月末にかけての時期であつたと推定される。」としてその始期については断定的な結論こそ避けてはいるものの、麻薬中毒者であるか否かに関しては、麻薬中毒者であると断定的な結論を打ち出している。そして右各鑑定書を比較検討するに、麻薬中毒の概念については「麻薬に対する精神的・身体的欲求が生じこれらを自ら抑制することの困難な状態」であるという全く共通したいわば現在の通説的見解に立脚し、また、新野が麻薬中毒者であつたか否かの点については、その始期について若干の差があるにしても、いずれも同人を麻薬中毒者とする結論において、全く一致していることが認められる。そして、前掲各証拠によれば、医師吉野実は、札幌医科大学卒業後、昭和三七年四月医師の免許を取得して以来精神科の研究、精神病の臨床医学に従事し、現在釧路赤十字病院神経精神科部長の職にある精神神経科の専門医であり、また鑑定人西堀恭治は、現在北海道立緑ヶ丘病院長の職にある精神神経科の専門医であつて、いずれもその年令、経歴、地位等から推して、深い専門的知識と豊富な経験を有していることが窺い知れるのである。さらに、吉野鑑定書については、鑑定に用いられた基礎資料は必ずしも鑑定書の記載内容からして明確ではないが、新野の家族歴、遺伝歴、生活史・既往疾患歴、臨床検査、(釧路赤十字病院入院当時およびその後の身体症状・精神症状、尿検査・肝機能検査・梅毒血清学的検査・脳波検査・知能検査、性格テスト等)、および麻薬施用の経過等について詳細に検討され、また西堀鑑定書については、柴田外科医院入院時の記録、釧路赤十字病院精神神経科入院時の記録、市立釧路総合病院内科入院中外来患者として診察を受けた同院精神神経科の病歴と諸検査の結果および新野に対する質問の結果を基礎資料とし、本件刑事事件記録と北海道衛生部薬務課から提供を受けた諸資料をも参酌して、新野の生活史・前病歴、現病歴、現症、麻薬並びに麻薬中毒の概念等について詳細に究明・検討され、それらの結果は、それぞれ各鑑定書に詳細かつ具体的に逐一記載されて、精神医学的見地から、新野が麻薬中毒者であることを結論づけていることが認められる。そして、以上のような医師吉野実および鑑定人西堀恭治の精神科の専門医としての経歴、地位、麻薬中毒者概念に対する理論的な検討とそのよつて立つ見解、各鑑定書の記載内容から推認しうる鑑定方法、各鑑定書の作成経過およびその記載内容等に照して総合勘案すると、右各鑑定書の鑑定結果に対しては、いずれも高度の信頼性があるものと認めるのが相当であつて、他に本件証拠を仔細に検討しても、右各鑑定書の鑑定結果に疑問を抱かせあるいはこれを覆えするに足りる証拠は到底見い出し難い。

二、次に被告人の新野に対する麻薬施用が正当な治療行為といえるかどうかについて検討するに、およそ麻薬は、鎮痛麻酔薬として他のいかなる薬品をもつてもかえ難い極めてすぐれた効果を有するけれども、これを長期間にわたつて反覆継続して施用するときは、必然的に被施用者を中毒に陥らせ、身体的・肉体的荒廃をもたらし、ついに廃人となるに至らしめる危険な薬品であることは検察官指摘のとおりであるから、麻薬取締法は、厳重にその施用等を規制し、麻薬の濫用による保健衛生上の危害を防止し、もつて公共の福祉の増進を図ろうとしているのであつて、同法第二七条第三項において、麻薬施用者であつても、疾病の治療以外の目的で麻薬を施用することを禁止し、さらに同法第二七条第四項において、麻薬施用者は、前項の規定にかかわらず、麻薬中毒者の中毒症状を緩和するため、その他その中毒の治療の目的で、麻薬を施用することを禁じ、その違反者に対しては、同法第六六条第一項において、懲役七年以下の刑に処することとしている。したがつて、麻薬施用者たる医師は、麻薬取締法の精神にそつて、麻薬の施用については特に慎重を期し、いやしくも習慣性を招来する虞があるときには、麻薬以外の他の鎮静剤によるのが至当であつて、出来る限り麻薬の施用を避けるべきであり、慢然とその習慣性を看過・軽視して安易に施用を継続することがあつてはならないのであつて、治療目的の名のもとにほしいままにその施用を反覆継続することは断じて許されないところである。ところで、疾病治療のためどのような範囲で麻薬の施用が許されるかは、要するに抽象的には医学上一般に当該疾病の治療のために麻薬を施用することが必要かつ相当であると認められる範囲に限定されるべきものというべきであるところ、その範囲を具体的事例に関して敷衍すれば、美容上の目的で隆鼻・二重まぶたの整形等の手術、人工妊娠中絶手術、その外外科手術を行う際その苦痛・疼痛を軽減・除去するために対症療法として一時的に麻薬を施用し、(厚生省薬務局麻薬関係例規集参照)癌、腫瘍、肉腫等の末期的症状における激痛のごとく殆んど患者の生存ということを顧慮することがない等特異な場合にその激痛の鎮静のため比較的長期間継続して麻薬を施用する場合を除いては、一般に麻薬の習慣性となるおそれがあるのに、長期間にわたり安易にかつ反覆して麻薬を施用することは、その名目が患者の疼痛を鎮静・緩和させるというものであつても、正当な治療の範囲を逸脱したものであつて、麻薬施用の必要性と相当性を欠くものといわなければならない。これを本件についてみるに、前記認定の事実に被告人の司法警察員に対する供述調書を総合すると、被告人は、昭和四四年一月三〇日新野を初診し、四肢凍傷第三度と診断し、疼痛の訴えに対しオピアト一本を注射したのが始りで、新野に請われるままに麻薬の分量を次第に増加して連用し、同年三月末頃には同人を「モルヒニスムス」と診断し、同年五月六日には、北海道知事に対し、麻薬中毒者診断届を提出し、さらに同年八月頃には新野に麻薬連用の弊害を説いてその施用量を減量させるべく努力したが、その後も新野の情にほだされあるいは疼痛を訴える患者を放置すれば、同室の患者の同情を買いしいては被告人の医師としての評判を損うこと等を慮つて、次第に増量して麻薬を施用するに至つたことが明らかである。そして、証人神村瑞夫の証言によれば、凍傷の治療方法としては、まず凍傷部位を摂氏三七ないし四〇度の湯に浸して凍結状態を解かしながら、強心剤、鎮静剤、睡眠薬等を投与し、同時に血液循環を促進する薬物、血液凝固を防ぐ薬物を投与し、遅れて患部が湿潤していわゆるえそ(壊疸)の状態を呈するに至ると化膿防止薬を投与し、患部が乾燥・凝固して萎縮すると切断しさらに必要であれば患部に皮膚を移植するという経過を経るものであるところ、その治療の過程すなわち、凍結状態が解けて血液の循環が良好となり、患部が湿潤してえその状態になる過程等において患者が疼痛を訴えることもあるが、その対症療法としては、その症状に応じ、精神安定剤、睡眠を催す抗ヒスタミン剤等を用いるのを通例とし、患者が精神錯乱状態を呈するような特異な場合には、まれにその疼痛を軽減・緩和するため、一時的に麻薬を施用することがあるけれども、その期間はほぼ一・二週間を限度とするものであつて、新野のような凍傷の患者に対し、前記認定のとおり、長期間に亘つて、多量の麻薬を連用することは、その治療上必要でなく、また相当でないことは明らかである。そして、前記認定の事実によれば、被告人は、新野を「モルヒニスムス」と診断し、知事に対し麻薬中毒患者届を提出しながら、その後も新野に対し麻薬を連用し、さらに被告人自ら新野に対し麻薬連用の弊害を説いて麻薬の分量を減少したけれども、再び同人から求められるままに増量して判示のとおり麻薬施用を継続したものであり、また、証人伊藤美和子の当公判廷における供述・被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、新野は、被告人が不在やあるいは多忙の時をねらつて、看護婦に麻薬の注射を要求し、看護婦から注射を受けたことが多く、被告人から直接注射を受けたのは僅に数回にすぎないが、看護婦が注射する都度、被告人の指示を受けていたことが認められるから、そのことから判断すると、被告人はおそくとも昭和四四年五月一七日頃までにすでに新野が麻薬連用により習慣性に陥入つていることを察知し、同人に対し、麻薬を連用させる必要もなく、また相当でもないことを認識しながら、判示のとおり昭和四四年五月一七日から昭和四五年五月一二日までの間、一、二六七回にわたり、麻薬であるオピアトを、普通薬の施用同然、あるいはそれ以上安易に、かつ反覆して施用していたものと認めるのが相当である。以上の事情を総合判断すると、被告人は新野に対し、医療の目的に藉口し、麻薬中毒者の中毒症状を緩和するため、麻薬を施用したものといわなければならない。

三、進んで、被告人の新野に対する麻薬施用が疼痛軽減・緩和という治療目的のためやむを得ずなされた緊急避難行為であるか否かについて検討するに、前記認定の事実によれば、新野はしばしば疼痛を訴え、鎮痛作用の強力な麻薬を要求する態度に出たことがあるが、それ以上に生命・身体に異状があつて、救急の手当をしなければ、生命・身体に危険を及ぼす状態にあつたとは証拠上到底認めるに足らず、また凍傷による疼痛を軽減・緩和する手当として麻薬注射を約一ヵ年にわたつて連用することは現在の医学上からみて有効かつ適切でしかも已むを得ない治療方法とは断じ難いことはすでに詳細に検討し説示したところによつて明らかであり、多言を要しないものといわなければならない。

以上の次第であるから、弁護人らの右主張は、いずれも失当であつて採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は包括して麻薬取締法第六六条第一項、第二七条第四項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、情状により刑法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(別紙略)

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